岐阜の地歌舞伎GIFU JIKABUKI Ⅳ

美濃歌舞伎保存会 納涼公演

七 地歌舞伎の復活

近年、懐古ブームとでもいいましょうか、地芝居復活の動きが大きくなっています。
熱心なグループや地域を挙げると、岐阜県内では東濃地方が最も多く、恵那市、同佐々良木地区、恵那郡の山岡町、明智町、串原村、坂下町、福岡町、蛭川村、加子母村などの歌舞伎保存会。
益田郡では下呂町御厩野「鳳凰座歌舞伎」、同町門和佐の「白雲座歌舞伎」、同町乗政地区。加茂郡は東白川村、されに郡上郡八幡町、各務原市の「村国座」の子供歌舞伎などです。
これ以外にも私の知らない地区やグループもあり、その数は27ほどになるということです。愛知県西加茂郡小原村、長野県下伊那郡下條村など美濃地方に隣接して県外も盛んなようです。
これら地方の歌舞伎を指導する師匠といわれる人も戦前は、美濃地方だけで10人ほどおられたようですが、亡くなられたり後継者がなかったりして今では、ごく少人数になってしまいました。二、三のグループは、古くから伝えられた所作、せりふなどを古老より聞いて練習しているようです。そのほかに元役者だった愛知県の人に教わっている所もあるとも聞いています。

美濃歌舞伎保存会 稽古

八 地歌舞伎を伝える

● 面白い芸風

美濃地方の地歌舞伎には、江戸時代に京都と江戸を結ぶ中山道を上り下りした役者衆の影響を受けてか、江戸の芸風と上方(大阪歌舞伎)の芸風が入り交じって、江戸にも上方にもない、面白い「型」が数多く見られます。また、今は全く忘れ去られてしまった芸風が残されています。
元来、歌舞伎は民衆の中に興り、民衆に支えられて伝承された娯楽であり、決して芸術ではないので、見る人に楽しく面白くなくてはならないのは当然です。
江戸歌舞伎の長い歴史の中でも、数多くの役者がいろいろな工夫を重ねて観客に面白い芝居をと心がけて舞台に立った話は、たくさん残され、語り草になっています。そう考えると、型や所作なども先代はそうであったから、その通りに演じなくてはならないというような鉄則はありません。このあたりが、能や仕舞とは次元を異にするものです。
わが美濃歌舞伎は、上方風と江戸風の混然と入り交じった芸風が伝承されてきました。美濃の地歌舞伎は、そこに本役者の「まねごと」ではない面白さがあり、楽しいところだと思います。

● せりふの覚え方

わが国では明治以来、学校教育制度に力を注ぎ、その成果で世界一の識字国家となりました。しかし大正の中期ごろには、仮名は読めても漢字の読めない人もまだまだいました。江戸期から明治の時代に至るまで農民の大半は文字が読めなかったようであり、このような人たちが台本など全然読めないのに、芝居のせりふをいかに覚えたかと疑問を持たれる方もあるかと思います。
ご承知の通り、歌舞伎作者「近松門左衛門」とか「鶴屋南北」などは立派な文学者で、かなり難しい言葉を使っており、現代人でも字を見なければ意味不明な言葉もあります。例えば「片時も早く」を、「ヘンジではなくヘンシ」と言わせております。そこで農民に芝居を教えるには、師匠が一口一口を口移しで教えました。口移しで習うことで、自然にせりふのメリハリも一緒に身に付く利点もあります。その反面、意味もわからず舞台に上がるため、大失敗をした例も多く語られています。地歌舞伎では、トチリも芸能のうちでしょうか。

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