終戦直後、東京では戦後復興の志気向上のため「演劇祭」なるものが開催され、多くの若者が参加したそうです。
この地域でも、戦地から帰ってきた若者たちが「町を元気にできるものは…」と思い立ったのが、地歌舞伎の上演でした。「この戦争の間に衣裳はどうなってしまっただろうか…」と不安に思いながらも、彼らがつてを頼って衣裳屋を訪れると、そこには戦前と変らぬ状態で多くの衣裳が待っていてくれました。衣裳屋のおばさんも元気でいてくれた。おばさんはこう言われたそうです。
「この衣裳は私の子供と同じ存在。曾祖父の時代(江戸)から受け継がれたもの。戦火の中、抱くように守ってきた」と。
現在、確認されている岐阜県内の衣裳群には、みな同じように、その衣裳のため命を賭けて守ってきた人たちの存在がありました。しかも戦後、社会情勢や人々の娯楽が変化し、昭和30年代におとずれた地歌舞伎の低迷期にも、その衣裳を手放すことなく守り続けてきたのです。